地震

Sunday, March 20, 2011

平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震

3月11日(金)14:46頃、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生した。

私はその時、池袋にある職場で自分の席に座っていて、今回に限ったことではなく、グラッと来たらいつも反射的に机の下にもぐることにしているから、あの日も誰より早く机の下に身を隠した。

あれよあれよという間に揺れは激しくなり、いつもはもぐらない向かいの席のコももぐり、机の下で手を握り合い、大丈夫!大丈夫!と声を出し続けて、あの6分間を乗り切った。

通常、大地震と呼ばれるものは、時間にして大体30秒と聞いていた。揺れ出してからしばらくは思い出す暇もなかったが、途中で、アレ?30秒とっくに過ぎてんじゃない??、と気付く。とにかく、早く終わって欲しかった。

職場を出たのは17:40頃だったかもしれない。それまでの2時間半以上は主人や実家に連絡を取ったり、ネットを見たり、社長室にあるTVで津波の映像を見たりしていた。

主人の携帯にはなかなか繋がらなかった。実家には割と早目に繋がり、母は家の柱にしがみついて揺れが収まるのを待ったと言っていた。何とか繋がった主人に迎えをお願いすると、とにかく今すぐツイッターを登録しろ!と命じられ、余震に怯えつつ、何とか登録を済ませた。

17号の某所で落ち合うことにし職場を出、途中、自販機で水を1本購入した。一昨年に一度だけ、自宅から職場まで自転車で来たことがあり、その時の経路を思い出しながら40~50分かかって17号に辿り着く。しかし、落ち合う場所を私は山手通りと17号の交わる所のつもりでいたのに、主人は板橋区役所だか板橋警察署のあたりだと思っていたようで、恐らくはお互い目と鼻の先に居たのに会うことが出来ず、私は何度かそのあたりを行ったり来たり繰り返した後で、下手に体力を消耗するのを恐れ、少しでも前にと思い、板橋本町まで進み、駅の横にあるセブンイレブンの公衆電話でまた、何度も並び直して主人に連絡を試みた。私のドコモでは太刀打ち出来なかったのである。

結局、公衆電話からも連絡が付かず、途中、実家の母に頼んで、母からも主人にかけてもらうようお願いをし、伝言を託した。母もなかなか繋がらないと言っていたが、諦められては困るので、しつこくかけ続けてくれと必死に頼んだ。

しかし、20時近くになり私の方が観念し、体力の持つ内に帰るには、いい加減もう進まねばと思い、まずは戸田橋を目指すことにし、再び歩き始めた。ふと見上げた標識には『戸田橋4km』と出ている。21時ぐらいには着けるだろうと計算をし、途中のコンビニで店員さんに声をかけてトイレを借りたりしながら、足を進めた。色々なことを考えて歩いていた気もするが、無心で歩いていたような気もする。戸田橋を目指す同志はいっぱい居た。

戸田橋に着くまでの1時間強は、結構長く感じた。長くは感じたが、戸田橋に着いた時の安堵感は、当てはまる言葉が浮かばない。

橋の上を歩いている時、右手の埼京線の方を見たが真っ暗であった。

17号沿いの飲食店も賑わっていたが、下頭橋ラーメンもこの日は盛況だったのではないだろうかと思う。

31のあたりで、キャップを被った男のコだか女のコだかが、携帯でラジオのニュースを流しながら歩いてくれていた。

杖をついて歩いている男性に声をかけたが、大丈夫だと言っていた。

ヨーカドーのあたりでうずくまっている女のコにも声をかけたが、大丈夫だと言っていた。

ヨーカドーを過ぎたあたりで若い男のコに、駅はどこか?と訊ねられた。

22時頃ようやく我が家に着いた。が、主人の自転車が無い。急いで携帯を充電し、PCの電源を入れて、ツイッターにログインし、主人にメッセージを送った。職場で登録したのはPCだけだったので、携帯で使うことが出来ず、歩いている途中には結局ツイッターを役立てることが出来なかったのである。

30~40分遅れて、玄関の方で自転車を停める音がした。ドアを開けると主人は笑顔で、無事に帰って来てくれて本当に嬉しかった。

その後、私は主人が途中コンビニで買っておいてくれた菓子パンなどを食べ、主人は私が職場から持って帰ったお寿司を食べ、この日あったことを色々と話した。池袋あたりの震度は5弱であったのも、帰ってから分かった。

そんな日も主人は、寝酒がてらに焼酎を飲んでいたけれど。

今日は入籍記念日。日々を積み重ねることは容易いことでは無いのだと知った春。いつも仲良くいたいと思う。

被災された全ての皆さんが1日も早く元気を取り戻されるよう、そして、お亡くなりになられた多くの方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

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Monday, January 10, 2011

地震イツモノート

この文庫は早急に、政府が国民に1人1冊配布しなくちゃダメ!と思う。でも、ソレを待ってたらいつになるか分かんないから、まずは皆さんが手にして、読んだ内容や感想を周りの人たちに伝えて、そうこう繰り返しているうちに誰もが皆、この文庫をカバンに入れて持ち歩いたり、本棚のスグ手の届く所に置いておいたり、そんなふうな身近なモノの一つになると、次の大きな震災だけでなく、台風や豪雨等の自然災害、その他諸々緊急事態の際に非常に力が発揮されると思う。皆さんは心構え、されていますか?

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